日露戦争戦陣日誌14
日露戦争戦陣日誌14
二月二十二日 晴天工事に従事
二月二十三日 準備
二月二十四日 当日 二字不明であるが多分満州軍総攻撃の命あり
我が旅団は口ヘンに句山子に集合の命あり
午前は出発準備をなす、軽装して午後八時二十五分
楡樹○(一字不明)を出発し口ヘンに句山子に集合す
同十一時半当地出発 嶺を越えて行軍を始む
二月二十五日 天明喩○嶺の麓に於いて休み その夜は当地に
露営をなす
二月二十六日 晴天午前四時二十分出発 天明の頃一里半ばかり
にして旅団の集合地に着す 午後0時半出発して
戦闘隊形に移る 側面の中隊○隊して行進す
1500メートル 突に○○ 窯溝南方高地を占領す
当山腹に露営をなしその日夕方より雪降る 寒気強し
二月二十七日 晴れ 当所に在りて防禦工事に従事す
二月二十八日 晴天 当日午後三時より其の附近前方村落に至り
鹿砦の切り取りに出る 午後五時半頃より我が陣地
を砲撃せらる 一時間ばかりして止む
この日砲撃にて第二大隊に損害多く 死傷者十五六
名あり 当日我が四十二連隊副官負傷をなし
第一大隊副官之に替わる
(欄外に二月二十六日より三月一日まで下達見西南方高地の戦闘と記載あり)
三月一日 午前二時出発 夜襲に移る 午前八時頃 丸山砲台の山麓に
到着す 当時 非常なる砲撃を受け其の途中我が中隊にて
四名負傷をなし当地に露営す
三月二日 晴天 非常準備をなして当地に終日止まる
三月三日 天明頃より出発し登山をなす砲台より八百メートル突の地まで
前進し第四中隊は砲台に肉迫して死傷者を出す
当日は山腹の谷間に在りて時機を待つ
午後四時頃後備第十一連隊南方峠を越えて前進を始め其の途中
砲台より急砲撃及び機関砲を受け 其の間困難をなす
午後七時頃外套を脱し軽装して突撃に移る準備をなす
○○二字不明命あり我が旅団は砲台の攻撃をなす各将校以下は
決死の覚悟をして進撃すべし、若し成功せざるときは 切腹すべし
と云あり 同九時に至り突然取止めの命来る同十二時第二大隊に
交替して元の位置に帰る
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コメント
10年ぐらい前” 三巻弘義”
グーグルで検索したが、検索にかかってこなかったが、今回でてきたので、グーグルの威力をあらためて、感じました。
私の ひいばあさんの親が安吉さん と
言ったが、安吉さんの姉さんが
三巻家に 嫁に行き 弘義さんを 生んだ
みたい。 というわけで 興味があるので
よませて いただきます。
投稿: 信永 | 2010年7月24日 (土) 09時07分
信永様 コメント有難う御座います。
この「日露戦争戦陣日誌14」以降さぼっています。
近々に 掲載いたします。
不真面目な我がブログですが これだけは真面目に
書き写しておりました。しかし昨年の12/13に飽きてしまい
ストップしていました。(;´д`)
投稿: 要塞砲兵 | 2010年7月24日 (土) 10時39分